【自己啓発】昔のブログを振り返って・・・パート①




このやっぱとみたブログを書き出して4ヶ月が経過。その中で、前のブログの方がよかった・・・と言われた事があり、改めて、自分の前のブログを読み返してみました。気恥ずかしい部分もありますが、改めて自分でなるほどーと思ったことを、少しずつこちらのブログにまとめていきたいと思います。

人の道徳の限界

大局を見て己の価値基準を明確に持つ 善悪の判断をする際に、 一つのフレームの中で判断してしまうと、見間違えてしまうことがあります。

  • あるフレームの中で、道端に投げたごみ。
  • でも更に大きな枠でみると、 投げたごみの先には、ちゃんとゴミ箱がある。
  • 更に時間視野を広げると、そのゴミは、道端に落ちていたもので、それをわざわざ拾ってゴミ箱に投げ入れた。

罵声が実は、叱咤激励であったり、 善が、偽善であったり、 悪が、未来の糧であったり、 利益が、その後の争いの原因だったり、 損が、まわりまわって利をもらたしたり・・・

経営でも同じことが言えるのではないでしょうか? 狭い視野で、物事の善悪を定めるという事は非常に危険です。

そもそも、経営者は取捨選択の連続の中で、 本当の善悪を見極める事なんて不可能に近い。

ということは、善悪の視点から物事を判断する価値基準自体を、捨ててしまう必要があるのではないでしょうか?

善悪なんて、人間が定めれるものではないと思うのです。もっと、身近かつ自身の信念に確かな価値基準を自分で構築するしかないと私は思います。

 

仲間と働くについて

本を書くにあたり、「開業」について、よくよく色々と考えさせられました。 行動を起こす、夢を実現する、戦略を練る、仲間と働く。 最初のボタンの掛け違いを防ぐ。 これからも、この目標を完遂するためのお手伝いを、 徹底的に、力を入れてやっていきたいと思います。

テーマは、「仲間と働く」についてです。 仕事とは人間関係が大半の割合をしめるのではないかと思います。

人間関係がうまくいっていれば、 多少の苦行も耐えれたり、乗り越えられたりするものですが、 逆にこれがうまくいっていないと、「働く」ということが苦痛でしかありません。

人間関係の難しいところは、 「正しい」からといって、万事がうまくいくとは限らない。 人は感情の生き物ですので、機嫌のいい時もあれば悪い時もあるし、 元気いっぱいな時もあれば疲れている時もあります。

  • また心に余裕がない時は、自分の意志とは無関係に相手に対して、冷たい態度をとってしまうこともあります。
  • また、仕事において、何か反省すべきことがある場合には、 それは地位、立場に関係なく反省を求める必要があります。
  • それと同時に、自分に反省をするべき点があれば、 大いに反省をしていかなければなりません。

そして、それによって発生した不具合に対してみんなで協力体制をとっていく。 というのが理想ではありますが、注意、もしくは指摘をする場合、 これがいい意味でも悪い意味でも人間関係に非常に影響を及ぼします。

例えば、何かのトラブルがあったあとに、 その相手と気まずい関係になってしまうことがあります。 そういう時、どういった行動をとるでしょうか。

自分から相手に仲直りを提案したり、自分の悪かった部分は相手に謝ったりする。そんな、相手が自分を避けている様子であっても、 自分から相手に歩み寄る気持ちが大切です。

こういう話をすると、どうして自分から折れなくちゃいけないのか、謝らなくちゃいけないのかなどと、 面子にこだわることが多いのですが、このことにどれほどの価値があるのでしょうか。

相手の気持ちも思いやりつつ、謝ることができる。 また、うまく仲直りが提案できることのほうが人間として素敵だし、仮にそれで関係が修復できなくても、歩み寄った事実がれば、 後悔しないし、それ以上嫌な気持ちを引っ張ることもないでしょう。

過ぎた事をくよくよ考えるよりも、今後にどういう関係を望むかをはっきりさせて、 そのためにはどうしたらいいかを考えるという姿勢が重要だと思います。

 

知足

少しだけ精神的なお話。 足るを知る。という意味で、「知足」という言葉があります。 「思考は現実化する」という古典成功哲学を読むと、

不満だと、不満な現実が作られ続ける。

まだまだ!という想いは、まだまだ!な現実を作る。

もっともっと!という想念は、もっともっと!が止まらない。 もし、満足だ!と思えたとしたら、 それは、満足だ!という現実が作られる。

ま、言葉にしたら当たり前なんですけど。。。笑

しかしながら、昔から、 満足してしまったら成長が止まる。 と、意識し続けて生きている、私。

満足するということに、恐怖心がある。 満足してしまったらそれ以上の現実が訪れないのではないかと。

最近、少し思う事があります。 存在自身は、満足。でも、

  • この人生をエキサイティングに生きたい!
  • この人生の喜怒哀楽を沢山経験したい!

そんな、私の根本的な願望が、成長欲求となり、「まだまだ!!!!」 と、思える私がいる。

焦りや、恐怖からではなく、 生きている事の実感を感じる為に。 悲喜こもごも。

人生いろいろありますが、 知足という安心と、成長したいという欲求が、一人の人間の精神にバランスよく持つことができたとき、自身の存在を自然に感じることが事ができるのではないでしょうか。そして、

自然と「感謝」が生まれる。

なんて、本当に難しいけど、 毎日の喜怒哀楽も、少しひいてみれば、 それも、また安心して楽しむことが、できるような気がする今日この頃。

 

さいごに:ふりかえってみて

ちょうど、3年から、5年まえのブログから、抜粋して、少し改善した記事ですが、やっぱり、ミスチルの歌詞みたいになる傾向が、今も抜けていないということと、今も、まったく同じ事で、悩んでいるというショックな現実(笑)。

でも来旋階段のように、同じ所を回っているように見えても、少しずつですが、

  • 昔よりは生きている実感を感じることができていたり、
  • 自分の事を大好きだと言えたり、
  • 少しは、自分ワールドから抜け出せるようになったり、

と、数年前の自分とは明らかに成長していることもあります。自意識過剰は、あまり改善されてないけど、今の自分が大好きです。

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