今晩は、海外にいますが、ふと日本を代表する経営者を思い出しました。すごくベタベタなテーマなんですが、松下幸之助氏と、現代の起業家について、少し考えたことを書き留めておきたいと思います。
日本は3位、韓国は15位。なぜ日本は経済大国になれたのか?
日本は戦後、もうすぐ70年を迎えようとしています。高度経済成長を経てバブル崩壊、現在日本は、失われた20年と呼ばれている状態です。
私も大学などの講義で、世代ひとつ若い20代前半の学生と話をする機会があるのですが、大きな夢を持つこともなく、どこか閉塞感をこの日本に感じている。
少しだけ諦めムードが漂っている気がしないでもありません。 すべての学生がそういうわけではないのですが、もしかすると、この失われた20年で、魅力的な大人像が失われ、がんばっても成果がでないというムードが次世代にも反映されてしまっているのかもしれません。
70年周期で、歴史は繰り返す
もう一度、日本を蘇らせていくためには、数十年単位の長期リバイバルプランが必要だと感じます。
そのヒントは、歴史にあります。今から約70年前に、世界二次大戦があり、その約70年前には、明治維新と、歴史は70年ごとに大きな節目を迎えています。
この70年周期という考え方を採用すると近い将来、日本人の価値観をひっくりかえすような事件が起こり得るかもしれません。
今から約70年前、その頃は当然、今よりももっと貧しく、モノがない時代、焼け野原から、立ち上がり、この日本に産業を興した先駆者、昭和の経営者の考え方が、現代にはもっとも必要だと考えます。
「水道哲学」
昭和の経営者の中で最も有名な人物と言えば、松下幸之助氏ではないでしょうか? 「水道哲学」 これは、その経営の神様と呼ばれる、松下幸之助氏の哲学です。
水道水のように良質の電気製品を無尽蔵に世に送れば、 貧困と犯罪のない社会をつくることに役立つ
と言う意味です。
企業は物質を通じて貧困を無くす使命を果たすがゆえに、 利益を得ることが、社会から許される。 社会的使命達成が第一義であって、企業の繁栄自体は第二義である
この松下幸之助さんの、「貧困の克服」という使命感が、日本の大量消費社会の扉を開くことになりました。
「ダムのような経営」を笑わなかった男
そして、その時代、1959年、日本のベンチャー企業だった京都セラミックを立ち上げたばかりの、若い20代の稲森和夫さんが京セラ創業間もない頃、松下幸之助氏の話を聞く機会がありました。
松下幸之助さんが、今となっては、有名な、「ダム式経営」を説いていた1965(昭和40)年頃の話です。
京都の経営者を対象にしたある講演会で、例によって、資金、人材、技術等のダムをつくり、余裕のある経営をしていこうと訴えました。 質疑の時間に、聴衆の一人が、 「どうやったらそのような余裕のある経営ができるのでしょうか?」 と質問しました。
現代にも確かにいますよね、このように、ノウハウや手法ばかりを聞きたがる人。
さて、松下幸之助さんはどう答えたか。 全てはイメージすることから始まる 、
「思わな、あきまへんな」
聞いていた多くの経営者は、笑いました。
中には、若干馬鹿にしたニュアンスで苦笑いした人も沢山いたに違いないと思います。 しかしながら、京都セラミック代表の稲森さんはこの言葉に、本当に深く心を動かされてしまったそうです。
やっぱり、ここが並みの経営者(多くの聴衆)と稲森氏の違いですね。すべては、想いを持ち、それを貫く事。その事を明確に相手に伝えること。そして、最後まであきらめないこと。
社会のために、人のためにという情熱は、必ず、伝播していきます。すべての人にとは行かないかもしれませんが、必ずその情熱を受け継いでくれる、うまく受信して引き継いでくれる人というのが現れるものですね。
その日、多くの中から一人だけ感銘を受けた、稲森さんは、数十年後の後日、このように語ったそうです。
私が若い頃お手本にした経営者は松下幸之助さんです。直接取引もありましたが、幸之助さんを尊敬していましたので、幸之助さんに見習いたいと思っていました。
そこから端を発して、明治の頃の日本の学者から中国の老子、孔子にまで広がっていきました。
いくら素晴らしい人とお会いしても、かねてからそういうことに関心を持って勉強していなければ、情報も言葉も蓄積されません。
仕事でたとえ余裕のない中でも、経営者は自ら学ばなければならないのです。私は、自宅のベッドの上に精神修養、宗教、哲学の本をいっぱい積んでいます。
寝る前のわずかな時間、それらを引っ張り出しては読みました。
そんなことを40年もやっていると蓄積されてきて、それが自分の血肉になるのです。
現代に生きる私としては、この逸話を聞いて、正直こんな印象を持ちました。確かに美談だけど、
本当に最初からそんな大きな志を立てて起業したのだろうか?
と。
さいごに、「起業家はだまされるな!」勝手な私の言い分
少し意地悪に聞こえるかもしれませんが、今は偉人と呼ばれる経営者も、駆け出しの頃は、そこまで大きなビジョンを描く事ができていたとはどうしても思えないのです。
私も経営コンサルタントとして、沢山の経営者を見てきましたが、やはり最初は、自己中心的な考えから起業し、そこで頭を打ち、悩み、苦しみ、ようやく社会貢献へと意識が向いていく。
そういった段階を追って、序々に、自己から他人、そして社会へと経営者の意識は変化していくのではないでしょうか?
最初から、高尚に行かずに結構、最初から稲森氏の言っている事を信じて真似ていると、まったく離陸できずに人にだまされて終わるのが関の山です。
うらみ・つらみ・ねたみのマイナスエネルギーで一気に起業・離陸して、徐々にその想いは昇華されていくのです。
でもいつか、日本の大経営者である先輩方の、大きな志の一旦を心の底から担いたいと思える日を楽しみに今を生きていきたいと思います。