この季節は、暖かい空気と雨上がりの独特の匂いで昔の記憶がよみがえります。五感の中で、もっとも脳と直結している感覚は、脳に神経が直結している嗅覚だそうです。次に音。そして視覚、味覚、感覚とつながります。昔の音楽を聴くとそのときの恋愛の事を思い出したりしますね。
問題が何かに気付けば、その問題の50%は解決している
これを、NLP(神経言語プログラミング)などでは、「アンカリング」と呼んでいます。船が港に停泊時に、碇を降ろして船体を固定するという意味です。
楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、苦しいこと、怒ったこと、その感情は、五感とともに脳に記憶として残します。
そして、その「碇」を、同じ五感を感じたときに、自然がよみがえる仕組みになっています。
幸福を感じたときに、私は、目をつむってニコッと笑います。何も怒っていなくても、目をつむってニコって笑うと、幸せな感覚がよみがえるようになりました。
嬉しいことも苦しいことも同じ
逆に言うと、昔、何度も繰り返し辛い思い出を強烈に感じたときの思い出は、何かの五感と日も付かれて記憶にアンカリングされます。
あまりに、その印象が強い、もしくは、何回も繰り返した場合、とくに素直に受け止めてしまう子供時代などは、これが過剰に現れるようになり、恐怖症に繋がるケースがあります。
- 先端を見ると怖い、
- 高所が怖い
- 閉所が怖い
- 暗所が怖い
- 人と接するのが怖い
など様々なケースに繋がります。
そして必ず、その恐怖は、体の何かに表れます。心臓が痛くなる、汗が出てくる、お腹が痛くなる、立っていられなくなる、頭が痛くなる、などの身体感覚ですね、その総称が恐怖です。
私の唯一の恐怖症は、虫です。
むかし、天井を張っている虫が落ちてきました。その時は、私は怖くなかったのですが、家族が全員私を見て笑っていたことが鮮烈にイメージに残ってしまい、虫を見ると、本当に嫌な気持ちになります。
私は、子供の頃は、人を笑わせるピエロや問題児を演じることによって、家族の絆をなんとか切らないように子供ながら無意識に気を遣い、私がバカなことをすれば家族が感心を持ってもらえる、私が問題を起こせば、家族が一致団結してくれるなど、そう考えていたわけです。
子供のころ、かならず演じているパターンがある
これは、あとに気付くことなのですが、私は、そうやって演じている自分がとても嫌いで、笑われる事を喜んでいるように見せていましたが、本当にそれは自分に取って最悪のことでした。
もちろん、よい子や素直な従順な子を演じる、気配を消して存在感を無くす、他にも様々な演じるパターンがあると思います。
やがて大人になって、あの頃を振り返ると、今もまだ沢山の思い残しと、その時の体験を今でも引きずってしまっていることに気付きます。
子供のころは、親の保護が無いと生きていけません。どうにか、親の気持ちを敏感に感じながら、なんとか親に嫌われないように、家族が壊れないように、子供はたくさんの気を遣います。
もう子供の頃の自分とは違う、大人になっても、まだまだその鮮烈な繰り返される経験は、自分の思考パターンとなり、思考から言動につながるので、子供のころの経験は、人生自体をやはり決定づけているのだと思います。
ヒントは苦をかんじることから。
私は、まずそういう過去に気付くことが大事だと思っています。多くの場合なぜ自分がそういう行動をとってしまうのか、気付きません。気付こうとしません。気付くと向き合わなければならないので、無意識の逃避ですね。
でも、何故か生きにくい、何故か人間関係がうまくいかない、何故か望んだ人生がいつも手にはいらない、などなど。
そんな苦を感じることができれば、そこから抜け出したいと思い、そのヒントは、外ではなく、自分の内にあります。
まずは、何が、いまの生き方、パターンを決定づけているのか?そこをゆっくり内観してみる時間をとってみてはどうでしょうか?
問題は、問題に気付いた時点で50%は解決しています。
意識することができれば、次は、反射的に自動的に、感情から思考に移るのではなく、思考に移る前に、ふと、考えてみます。
今まではそうだったかもしれないけど、これからは違う考え方ができるかもしれない。
ひとつずつ、もつれた糸をほぐしながら、薄皮一枚ずつ脱ぎ捨てるように、ちょっとずつ昨日と違う自分を発見していきたいと思います。
さいごに
自分の見たくない過去をみつめることは、ずっとしまっておいたパンドラの箱をあけるのと同じで、中からどんな悪魔がでてくるのか?本当に怖い、そのまましまっておきたいものです。
しかしながら、そのパンドラの箱のなかには、悪魔が出て行ったあと、本当に素敵な宝物が眠っています。
私は、苦しいという感情はある意味、その宝ものを見つけるチャンスだと思っています。
偉そうに言っていますが、私も100回中、99回はその箱から逃げて、なかったことにどこかにしまってしまいますが、1回だけは、本気でその箱と向き合って成長していきたいと思います。