【ひとりごと】祖母の命日




今日は定例勉強会。なぜかいつも台風接近中での開催になってしまいます。「なんで?」と自分につっこみながら、石原裕次郎の曲を思い出すわけですが、石原裕次郎と言えば、祖母の大好きだったスターです。祖母といえば、昨日9月19日は命日。今の自分があることに感謝しつつ手を合わせました。

 祖母はかっこよかった

祖母は30代の後半で東京から大阪に移り住み、女で一人で母と叔父を育てながら、「運送会社」を経営していました。

当時支援してくれていた今でいう祖母のメンターが大阪にいて、運送業の開業を応援してくれたそうです。

当時、アート引越センターの社長も女性でしたが、運送業の女性経営者は珍しくなかったようです。

祖母は男勝りな性格で子供のころ、事務所の前でトラブルか何かでつめかけてきた強面の男性に対して、

やくざが怖くて経営なんてやってられるか!!!

と怒鳴っていたのが印象的でした(笑)

運転手の中にまじって、私を膝にのせ、事務所で麻雀。けむりもくもくでしたが、私に麻雀やパチンコを教えてくれたのも祖母でした。

晩年、無くなるまでの数年間は、寝室に、

日暮れて道遠し

と自分で書いた短歌柵を飾っていました。なんとなく人生の重たさを感じたものです。当時20代でバカばかりして、親孝行も婆ちゃん孝行もできていない自分に情けなさを感じました。

いつもセミナーで自己紹介をさせていただく際に、尊敬する祖母の事を少し話します。町の小さな会社の経営者でありながら30年以上会社をコツコツ切り盛りしていた祖母、いろんな人から慕われ、経営者である私の父も、母より祖母の方がよく飲みに行っていたように思います。

ほとんど家に帰ってこない父の代わりを祖母がしてくれました。私に背中で父性を教えてくれた人です。

心の片隅にいつも祖母との思い出と、一日一日をついついないがしろにしてしまう自分に対しての戒めの意味も込めて、私も、この「日暮れて道遠し」の言葉を毎日唱えていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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