今日は、1年ぶりに夜桜を見ました・・・当たり前か。昨日のブログにも書きましたが、五感は、脳の記憶に直結しています。夜桜を見て思い出すこと。めっちゃきれいやな!以外に、ふと命が明日、終わるかも知れないと思います。
夜桜を見ながら、全てのものはうつろいかわりゆくことを知る
今日の国立の夜桜。
明日ありと思ふ心のあだ桜、 夜半に嵐の吹かぬものかは。
今は盛大に咲き誇っていても、 夜半に嵐が吹けば桜は一瞬にして散ってしまう。
世は無常であって、 やるべきことは必ずできる時にやって、 明日桜を見に行こうというが如き気持ちではいけないということ。
人間のことを桜に例えて戒めた歌。
浄土真宗を開いた親鸞が9歳の時、 出家しようと慈円和尚の元へ行ったが、 既に夜も更けていたので慈円和尚が、
「今夜はとりあえず休め」
と言ったところ、 この歌を詠ったとされています。
って9歳って・・・親鸞天才!
死を意識する
夜桜をみて、いつも命が終わることを意識します。一度飛び立った飛行機は、いつか、燃料が切れ、とこかに着陸します。
着陸するときに、そこが海なのか、陸なのか、ちゃんと飛行場に降りれるのか、この人生においては、ねらってできるもんじゃないですね。
雨が降ってきたときに傘を借りるのではなく、雨が降ることを予想して傘を持っていかないといけないんだけど、いつか来る死について、傘を準備している人は少ないですね。
死を本気で考えたら、死を本気で感じることができたら、人は、発狂していまうそうです。死にたいと思っている人も、あと数年で人生終わっていいと思っている人も、自分が意識から死から遠ざかっているだけで、自分の目の前に死を感じることが本当は無いからだと思います。
死から遠ざかる時期
子供のころは、あんなに死に敏感だったのに、また歳を取るとだんだん死はまた身近になる。
10代後半から、50代前半までは、もっとも死の感覚から離れています。死に対する実感がない年代です。
明日死にかもしれない、むしろ、今、頭の血管が切れて死ぬかも知れない。そう想いながら、でも、永遠を生きるつもりで、勉強、成長、経験を図らねばならい。
明日の死を意識して、今日を生き、永遠を意識して、勉学すべし。