【ひとりごと】軍師官兵衛の秘密

黒田官兵衛




今年は、毎週楽しみな「大河ドラマ黒田官兵衛」戦国最強の軍師ということで、私も大好きな歴史上の人物の一人なんですが、だいたいこの秀吉のご乱心あたりから、ストーリーにいつもちょっとなんか違和感を感じるんだけど、これって私だけなんだろうか?

官兵衛が大好きな私は、別の解釈が無いものか調べました

とか言いながら今日から、また朝鮮半島に上陸しておりますが、韓国の友人からも、酒の席ではありますが、400年前の事を未だにネチネチ(笑)言われたこともあわせて、日本と朝鮮の関係を歴史から、いろいろと調べたくなるわけです。

東アジア最大の国際戦争

隣国からすると本当に最大の一大事だったわけでしたが、日本の歴史では、そんなに詳しく語られていないのはなぜなんでしょうか?

「文禄・慶長の役」は日本が明に攻め込むために朝鮮半島へ出兵した事件です。ウィキペディアより抜粋。

文禄・慶長の役(ぶんろく・けいちょうのえき)は1592年から1598年にかけて行われた戦争。日本の豊臣秀吉が主導する遠征軍と、明およびその朝貢国である李氏朝鮮の軍との間で交渉を交えながら朝鮮半島を舞台にして戦われたこの国際戦争は、16世紀における世界最大の戦争とされる。

この戦は明・中国を中心とした東アジアの支配体制・秩序への秀吉の挑戦であり、日本と中国の戦争だった。 文禄の役は1592年に始まって翌1593年に休戦した。また、慶長の役は1597年講和交渉決裂によって始まり、1598年の秀吉の死を受けた日本軍の撤退をもって終結した。

この真相は、いったん何だろうかと、近代とても便利になったインターネットというツールを使って調べてみた結果(早く寝ないと・・・)、どうも当時のスペインという国が関係しているのかもしれないということが、新たな切り口でした。共有できればと思います。

歴史に興味のない人は、読んでも面白くありません

当時、二度にわたる秀吉の朝鮮出兵(文禄、慶長の役)というのは、16世紀における東アジアでの最大の戦いだったそうです。

日本からは約16万の大軍が朝鮮半島に送り込まれ、朝鮮と明国の連合軍は、戦力25万の大軍。

天下分け目の戦いといわれる関ヶ原の戦いにしても、東軍7万、西軍8万の激突ですから、いかに朝鮮出兵の規模が大きかったかがわかります。

そこで世界情勢はどうなっていたのか?

この時代、実は、世界の8割は、スペインの植民地となっていました。 そのスペインは、フィリピンに、東アジア地域全体の戦略統合本郡である総督府を置いていました。

そしてこの時代、スペインによってまだ征服されていなかったのは、東アジアでは、明国と日本だけとなっていたそうです。

そのスペインが、日本に最初にやってきたのは、1549年のことです。 宣教師のフランシスコザビエルさんの来日ですね。

当時の宣教師は、植民地化の先兵

国民に受け入れられやすそうな調子の良いことを言って改宗させ、頃合いを見計らって、軍隊を送り込み、人民の殺戮や財宝の強奪、ひいては植民地占領というのが彼らのやり方でした。

でも、日本人、ここがすごいよ!

でも日本が他の国々と違っていたのは、彼らが持ち込んだ鉄砲という武器を日本人は量産してしまいました。

気がつけば、日本の鉄砲所持数は、世界全体の半数を占める莫大な数となりました。やりますね、信長さんと堺の商人と鍛冶屋さんの力ですね。

宣教師たちも、さすがにこれには驚いた様子で、スペイン国王に送った上書にも、

スペイン国王陛下、陛下を日本の君主とすることは望ましいことですが、日本は住民が多く、城郭も堅固で、軍隊の力による侵入は困難です。 よって福音を宣伝する方策をもって、日本人が陛下に悦んで臣事するように仕向けるしかありません。

住民が多いのも嘘、城郭がよくできるっていうのも嘘。単純に軍事力(火力)で敵わないというのは、国王に対して、正直に言ってしまうとやばいので、こんな感じなったのかと思います。

もちろん、スペインの狙いは日本だけではありません。 お隣の明国も、スペインは植民地化を狙っています。 こちらは、鉄砲を量産するような技術力はなく人の数が多いだけ(ちょっと言い過ぎかな・・・)です。

ただ、大陸は広く、その調略には手間がかかる。 (ちなみに当時のスペインにとって、朝鮮半島は対象外です。 朝鮮半島は、明国の支配下だったわけですから、明が落ちれば自動的に手に入るエリアです)

天下太平のあと、残念ながら、国内だけが重要軍略地点ではなくなった

さてそのスペインですが、明国を攻略するにあたり、当時、世界最大の軍事力(火力)を持っていた日本に、一緒に明国を奪わないか、と持ちかけています。

ところが日本には、まるでそんなことに関心を示しませんでした。 そもそも信長、秀吉と続く戦国の戦いは、日本国内の戦国の世をいかに終わらせ、国内に治安を回復させるかにあったのです。

しかしながら、スペインに支配された明国兵が、数の力にモノを言わせて日本に攻め込んできたら、これはたいへんなことになるんですね、 元寇の再来というわけです。

世界を相手に軍略を練った日本人

となれば、

その驚異を取り除くには、スペインよりも先に明国を日本の支配下に置くしかない。

火力、武力に優れた日本には、それは十分可能なことだし、万一明国まで攻め込むことができなかったとしても、地政学的に朝鮮半島を日本と明の緩衝地帯としておくことで、日本への侵入、侵略を防ぐことができる。

このことは、ロシアの南下政策を防ぐために、明治日本が行なった政策と、当時の状況が酷似しているということです。

朝鮮半島から明国近くまで兵を進めておくこと、これは我が国の安全保障上、必要なこと、であったわけです。

もし日本が植民地化されてしまっていたら?

スペインに当時、植民地化されて国は、いまどうなっているでしょうか?ブラジル、エクアドル、ペルー、ボリビアは、全員が、先住民族との混血です。純血腫はいません。 強姦され、放置され、子を産み、いまに至っています。

しかしながら、日本も支那も朝鮮も、それぞれに純血種を保ちながら、いまに至っています。これは、秀吉たちが、スペインと真っ向から戦う姿勢を明確に見せたためと言っても過言ではありません。

幕末と同じように、日本を守ろうとした数々の歴史の人物や犠牲になったご先祖様のことを、もっといろいろな角度から理解していきたいものです。(さて明日も早いので、そろそろ寝よう・・・)

さいごに(NHK大河ドラマの”まわしもの”ではありませんが)

ということで、これらの策は、もちろん秀吉が採択し実行したわけですが、この策を提示したのが、他の誰でもない黒田官兵衛だったのではないかと思うのです。

あの時代に国内だけ無く世界を相手にしていた軍師官兵衛。これからも、大河ドラマ見続けたいと思います。

スペインが弱体化し、侵略してくる危機が薄れたと同時に、秀吉が亡くなり多くの戦死者というよりも餓鬼者を出してしまった戦争が終わりました。

日本に帰国した武将や兵は、いよいよ、西と東の大戦に巻きこまれていきます。

この関ヶ原の合戦でも、官兵衛は、九州でとんでもない野望を持ち行動を開始します。そこらへんもどんな風に描かれるのか?今から楽しみです。

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