【ひとりごと】ナニワ金融道




生きるか死ぬかをせっせとやっていた時代。車で暮らしたり、500円でご飯を食うか、お風呂に入るか、なんて真剣に悩んだり、借金取りに追われたり、追ったり。もうはちゃめちゃで楽しかったけど、迷惑かけた人を思い出すと、本当に胸がいたくなる(笑)ウルフルズの曲で、いきなり記憶がよみがえりました。

たくましく生きる、強く生きる。

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18歳で働いていたSE時代の会社の社長。オフィスには、ナニワ金融道が全巻揃っていました。別に金融ではなく、IT業界でしたが、たまに社長は、2千万円くらい入った紙袋を持って帰ってきます。

なんで現金?っとびっくりしましたが、10代最後の二年間、ドキドキハラハラの命と金のやりあいをいろいろと教えて貰ったのが懐かしい日々のひとつです。

今日は、ひさしぶりにテレビをつけたら、ナニワ金融道のドラマがやってました。中居くんが演じる灰原、ひさしぶりに見ました。

なつかしい・・・。20歳前半、しばらく借金まみれになり、どうやって返すのか、あのニュースでも有名になった貸し金屋、「日栄」と毎日、おらおら!のやりあいをやっていたのが懐かしいです。

一番ショックだったのは、内臓を売っても100万円にも満たないという事実でした(笑)

底だとおもっていることは、ぜんぜん底ではなく、まだまだ下があります。そのころ、知識や情報こそが大きな武器になることを知りました。

そして、その知恵の源泉は、青木雄二氏の漫画でした。まだ青木氏が生きているときは活字で、漫画やドラマだけでなく、活字で小説も書いてました。自伝もたくさん読みました。

北新地のホステスと結婚したらすぐ52歳の若さで他界してしまいましたが・・・。

 

 

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