檀家よりいただいたおはぎを、師匠から盗み食いをしないようくぎをさされていたにもかかわらず、一休さんは仲間とたらふく食ったあげく、仏様の口におはぎを塗っておいたのです。師匠には仏様が食べたと言い張り、仏様を鍋に入れて煮てしまいます。一休さんは師匠に「食った、食ったといっているでしょう。」と言い張る始末です。
みっつの巻物
一休さん(一休宗純)
これがホンモノ。
私は、超個性の強い破天荒・禅の大家であるこのお坊さんが大好きです。正月にはどくろに紐をつけてぐるぐる回しながら、市街をこう言って回りました。
死の用心、死の用心!
門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし。
また一日死に近づいたと言うのに、正月の年明けの何がめでたいのか!ということを、本気で伝えていた人だったと思います。狂っているとほとんどの人に思われたでしょうが、真理を間違いなく突いている一言だと思います。
なんとかなるなるケンタッキー
そんな一休さんも当時、超一流だった、浄土真宗の中興の祖である、蓮如上人とも何度も返歌のやりとりするほどの中で、室町幕府とも仲良かった人です。その破天荒の狂人も、亡くなる前には、沢山の僧が弟子入りしていました。いや勝手にに一休さんの昔の私のように、鞄持ちをしていた人が沢山いたそうです。
一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を弟子たちに遺しました。
この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開け。それまでは絶対に開けてはならない
と遺言し、入滅されました。 何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になりました。
弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、妙案を思いつかず、 どうしようもなくなってしまいました。
そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、 恐る恐る紐解いてみると、その巻物にはこう書かれていました。
一巻目 ・・・ 大丈夫
二巻目 ・・・ 心配するな
三巻目 ・・・ なんとかなる
「どぅえぇー!?」(一同手を挙げ) それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出しました。
そして、そのときに素晴らしい解決策を思い浮かべました。
「なんとかなる」と信じていたら、本当に「なんとかなる」ものです。
「なんとかなる」だけではなく、人生は思いようで、 本当は「なんとでもなる」のかもしれません。