長い年月をかけて、洗練されてくるものも沢山ありますが、多くの場合、その想いが途中で途切れてしまい、いつのまにか、脱落していきます。10代続けるということは、本当に難しいことだと思います。続けるためには、変わることと変わらないことのバランスですね。
300年続く想いと、習慣を改革し続ける志
信州中野というところに、美味しいりんごを作る果樹園があります。その果樹園は、創業して300年が経つという歴史があり、今は、10代目がこの果樹園を仕切っています。
りんご栽培は、非常に難しいところもあり、薬や化学肥料などを使えば、多く実り採算もあうのですが、できる限り、人の口に入るものは自然なものを提供したいと考えていたこの農家は、先代の7代目までは、りんご栽培には手をつけることができなかったのです。
そこからしばらく、小さな農園で試験的な栽培しかできなかったのですが、先代の想いを受け継ぎ、9代目が技術を大きく革新し、本格的なりんご栽培を始めることができるようになりました。
私はこの果樹園にお話をお伺いするために、電車を乗り継ぎ、長野にある信濃竹原駅に降り立ちました。
そこでは私と同世代の若者が迎えに来てくれました。その若者の名前は、市川大輔さん。今から向かおうとしている、市川果樹園の10代目代表でした。
市川果樹園では、300年というその長い年月の中で、農作物に対する、栽培姿勢とこだわりが引き継がれています。
その歴史をまず紹介させていただきます
市川家は江戸時代の中頃、初代が長野県松代よりこの地に住み着き、田畑を多賀谷化してきまいた。 当時、親類縁者のいなかったご先祖様は、近隣の皆さんに親戚付き合いをしていただけるよう、お願いをしたそうです。
時は過ぎ、昭和10年頃、大輔氏の祖父・良市(よしいち、8代目)が高校生の当時、田んぼだった土地に曾祖父・信友(のぶとも、7代目)がりんごの木を植えたのが、果樹園としてのはじまりです。
当時、科野村とよばれていた当地周辺では、米、柿、養蚕が盛んでした。この科野村でりんご栽培をはじめたのは、大輔氏の曾祖父の試みが一番早かったそうです。
そして昭和49年に先代の父康蔵(こうぞう、9代目)が産地直送販売を始めました。 時はまだ、今のように便利な宅急便などなかった時代、りんごは国鉄の貨物列車に載せられて、お客様の元へと運ばれました。
モンドセレクション金賞
さらに、りんごでジュースを作ろうということになり、昭和49年 りんごジュース『狸囃し』を販売開始します。 その頃、昭和50年に現在の代表 10代目大輔氏が誕生します。
彼は、平成11年 4月~6月の間、ニュージーランドの大規模りんご農家へ研修に行き、その後、10代目を次ぐことになります。
そして彼の代でついに、有名なモンド・セレクションを受賞することになります。無添加りんごジュース「狸囃し」 モンド・セレクション2012金賞受賞、無添加あんずジャム、モンド・セレクション2012銀賞受賞と続きます。
実績を重ねていく、市川果樹園の強みは、これに尽きると思います。それは、 「生産者であること」 大輔氏は、こう語ります。
~当園の一番の強みは「自らが生産者であり、収穫した 全ての農産物及び加工品を、全量自前で販売していること」 です。生産者だからこそ、お届けする全ての商品についての ご質問にお答えできます。どうぞ安心してお召し上がりください~
こちらが、市川果樹園様ホームページです。