本日は、名著「夜と霧」のまさに映画のような、夜と霧あらすじと経営理念の父、フランクル博士の壮絶な人生を振り返りましょう!

夜と霧

今回は私が敬愛して病まない、ヴィクトール・E・フランクル博士が書かれた「夜と霧」という本をご紹介したいと思います。

ヴィクトール・E・フランクル博士

フランクル博士は1905年、ウィーンに生まれます。ウィーン大学卒業しており在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学びます。第二次世界大戦中、ナチスにより強制収容所に送られた体験を、戦後まもなく『夜と霧』に記します。

人間が存在することの意味への意志を重視し、心理療法に活かすという、実存分析やロゴテラピーと称される独自の理論を展開する。1997年9月に亡くなられました。

私は経営理念と呼ばれるものも、フランクル博士が考えた存在理由を明確にすると、生存確率が上がるという理論を元に、法人に当てはめて考えたものであると確信しています。

経営理念の生みの父が、ヴィクトール・E・フランクル博士です。

フランクル博士は強制収容所で、心理学者としてでも、医師としてでもなく、「ただの収容者」としての日々を過ごしました。

本書の目的は批判や告発などではなく、「人生とは何か」という問いの中で、失ったものに目をむけるのではなく、どんな過酷な状況でも、失わないものに目を向け、「どんな状況であっても人生には意味を見出すことができる」と説かれています。

今回お伝えしたいテーマは大きく3っつ!

1、極限状態に陥ると、人は自己防衛のために感情を消滅させてしまう。しかし自然や芸術、ユーモアに触れ、内面を豊かにすることで、正常な精神状態を保つことは可能。

2、 人は環境によってすべてを決定されてしまうわけではない。どんな状況にあっても、その状況に対してどのように振る舞うかという精神の自由だけは、だれにも奪うことができない。

3、「生きる意味」とは、我々が生きることになにを期待するかではなく、生きることが我々から何を期待しているか、未来で我々を待っているものは何かを知り、その義務を果たすことで生まれる。

さっそく行ってみましょう!

ファーストステップ――収容ショック

収容所に移送された人々は、まず「恩赦妄想(おんしゃもうそう)」にとらわれます。

死刑を宣告された者が恩赦で助かることを空想するように、「そこまでひどい事態は起きないだろう」、「なにもかもうまくいくはずだ」、と自分に言い聞かせるそうです。

実際、移送の貨車に途中で乗り込んできた被収容者たちは、血色もよく、陽気で、その希望を裏付ける姿を見せていました。

この恩赦妄想は、夕刻に将校の前で最初の選別を受けるまで、フランクルたちの心を支配していた。

夕方、フランクルたちはすべての所持品を置いて貨車から降り、将校の前を歩くように指示されました。

将校は被収容者が前を通るごとに、指をかすかに右に、あるいは左に動かした。フランクルはできるだけ背筋を伸ばして立った。すると、将校の指は右に動いた。

その夜フランクルは、収容所暮らしの長い男に、一緒に収容された友人の行方がわからないと漏らした。

「その人はあなたとは別の側に行かされた?」

「そうだ」

「だったらほら、あそこだ」

そういって男は、数百メートル先の煙突を指さした。

「あそこからお友だちが天に昇っていってるところだ」

こうしてフランクルは、将校の指の動きが最初の淘汰であったこと、そして収容所がどういう場所であるのかを理解した。

「消毒」と称して身ぐるみをはがされ、体中の毛を剃られ、フランクルたちに残されたのは裸の体ただひとつだけでした。。フランクルは書きかけの学術原稿だけは残してほしいと懇願したが、それが叶うことはありませんでした。

そんな風に希望が潰えていく中で、被収容者たちの心に浮かんだのはやけくそのユーモアだだったのです。

ユーモアは、その後の長い収容所生活でも重宝されました。ものごとをなんとか笑い話にしようという試みはまやかしにすぎないかもしれないが、生きるためには欠かせないものです。

ユーモアとは、状況に打ちひしがれて自分を見失うことのないよう、人間に備わっている魂の武器だと言えます。

セカンドステップ――収容所生活

収容から数日で、被収容者たちの心の状態は、第2段階の「感情の消滅」へと移行していきます。

家族に会いたいという思いや、泥や糞尿にまみれた自らに対する嫌悪といった正常な感情の動きは徐々に鈍化し、やがて無関心状態が訪れます。

仲間が殴られても心が動くことはなく、仲間の死体は、食料や衣服を奪う対象でしかなくなります。

この感情の消滅は、自己の精神を保つために必要不可欠な防衛メカニズムでした。

被収容者たちは現実を遮断し、すべてのエネルギーを、自分と仲間の生命を保つために費やすのです。

生きることに関係しないことは一切どうでもいい、という状況下であっても、政治と宗教は被収容者たちの関心を集めたのだそうです。

また、美しい自然やちょっとした芸術に触れることは、現実をひととき忘れるために有効な手段でした。

実際、感受性の高い人々は、収容所という困難な状況にあっても、精神にはさほどダメージを受けないように見えます。

こうした人々は、自身の内面を豊かに保っていたため、粗野な人々よりも収容所生活に耐えられたのだと考えさせられます。

フランクル博士はは、雪の中何キロもの道のりを歩くときも、壕の中でつるはしを振るっているときも、心の中で妻と語らい続けました。

そして、これまで何人もの詩人たちがうたってきた真実――

愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ

という真実を理解しました。

人は、この世にもはや何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地に至れるということを証明したのです。

また収容所では、ほんの些細な運・不運と、とっさの決断の正誤が生死を分けました。

フランクルの生還もまた、運命と決断の結果だったのです。

あるとき「病人収容所」への患者移送団が編成され、フランクルは医師として同行することになった。実際にはガス室行きの可能性もあると言われていたから、多くの収容者が、移送団入りから逃れるために過酷な夜間シフトに志願しました。

しかしその後移送は中止となり、逆に夜間シフトを選んだ者の大半は2週間以内に命を落とすこととなりました。

そうした経緯の後、2度目の移送団が編成されたのだが、結局移送団が本当はどこに向かうのか、だれにもわかりませんでした。

身を案じた医長が、リストから名前を取り下げることができると耳打ちしてきましたが、フランクルは運命に任せることを選んだのです。

泣きじゃくる友人に妻への遺言を託し、フランクルは移送団と共に出発します。最終的に移送団は、本当に病人収容所に到着しました。

しかしながら皮肉にも、フランクルが元々いた収容所は、その後飢餓状態が悪化し、人が人を食う地獄と化してしまったそうです。

その後2度目の脱走を企て、いよいよ前線に走り出そうとしたそのとき、収容所のゲートが大きく開きました。収容所は国際赤十字の庇護下に置かれ、収容所生活は終わりを告げたのです。

サードステップ 人間としての最後の自由

「強制収容所の心理学」というと、人の行動や精神は、特異的な環境下では否応なく規定されてしまう、という印象を与えるかもしれません。

しかし、人は環境に対してどのように振る舞うかの自由を本当に持っていないのでしょうか?。あるいは、収容所という特殊な場所では、尊厳を放棄してしまっても「仕方ない」のでしょうか。

答えはNOです。人は極限状態であっても、自己を見失わず、英雄的に振る舞うことができます。

ほんの一握りであったが、通りすがりの人に暖かい言葉をかけ、なけなしのパンを譲っていた人々は確かに存在しました。

強制収容所は人間からほとんどすべてを奪ったが、たったひとつ、与えられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えませんでした。

不十分な食事や睡眠不足、様々な精神的苦痛は、典型的な「被収容者」になる理由としては十分かもしれない。

しかしそれでも、堕落するのか、人間として踏みとどまり尊厳を守るのかは、自分自身で決められることなのです。

被収容者たちの心を最も苛(さいな)んだのは、強制収容所での生活がどれだけ続くのかがまるでわからないことでした。

そうした状況下では、目的を持ち未来を見据えて行動することが難しくなってしまう。未来が見えなくなると人の心は折れます。

実際、未来を信じることができなくなった人々は精神的に破綻し、横たわったきり動かなくなっていった。

こんな例もあります。フランクル博士のいた強制収容所では、1944年のクリスマスから1945年の新年までの間の週に、かつてないほど大量の死者が出ました。

大量死の原因は過労や飢餓、疾患などではなく、人々が「クリスマスには家に帰れる」という素朴な希望にすがっていたこと、そしてそれが叶わないとわかり、落胆と失望により抵抗力を失ってしまったことにあったといいます。

だから重要なのは、生きる意味についての問いを180度転換することです。。生きることからなにを期待するかではなく、生きることが私たちから何を期待しているかに目を向けることが重要なのです。

ここでいう「生きる意味」は漠然とした何かではなく、具体的な要請です。

この運命は、人間を苦しめることがあります。しかし人はこの苦しみを自らの責務とし、自分はこの運命と共に、ただ一度だけこの世にある存在なのだという意識をもたなければなりません!

「生きていることにもうなんにも期待がもてない」という男たちに、フランクル博士は、生きていれば未来に彼らを待っているなにかがあるということを告げました。

一人の男にとってそれは子供であり、もう一人にとっては仕事でした。それはいずれも、当人にとってかけがえのないものだったのです。

ニーチェは、

なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える

と言いいました。

フランクル博士はこのことを被収容者たちに語って聞かせました。フランクル博士が語り終えたとき、仲間は涙を浮かべて彼のもとに歩み寄ってきました。

フランクルの言葉は、苦しむ被収容者たちの生に確かに意味をもたらしたのです。そして今を生きる私達にも大きな意味をもたらしてくれているのです。

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