『過去にこだわるものは、未来を失う』 これは、元英首相のウィンストン・チャーチルの言葉です。いつまでも過去にこだわっていると、現在を損い、 未来の可能性を失うことになるのでしょうという意味です。未来をつくるということは、今この瞬間を生きるということかもしれません。

さすがノーベル文学賞、名言の数がはんぱない

日本にとっては、敵でありましたが、この人がいなければ、世界大戦の対局は、もしかすると日本・ドイツの勝利だったのではないかというくらい、天晴れな敵大将です。

敵味方の垣根なく、学ぶべき人物からは、多くの事を学びたいものです。

あまり先を読みすぎるのは誤りである。運命の鎖の輪は一つずつ扱われねばならない。

変転する状況のただ中で、ひとりの人間が終始一貫性を保つ ただひとつの可能性は、 すべてを支配する不変の目標に 忠実でありながら、 状況に応じて変化することにある。

現在我々は悪い時期を通過している。 事態は良くなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。 しかし我々が忍耐し、 我慢しさえすれば、 やがて良くなることを私は全く疑わない。

凧が一番高く上がるのは、 風に向かっている時である。 風に流されている時ではない。

金を失うのは小さく、 名誉を失うのは大きい。 しかし、勇気を失うことは すべてを失う。

何が本当に自分の利益であるか、 ということを知ることは容易ではない。

好転する前には、 悪化するという段階もあり得る。

悲観主義者はあらゆる機会の中に 問題を見いだす。 楽観主義者はあらゆる問題の中に 機会を見いだす。

愉快なことを理解できない人間に、 世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。

重要なポイントを突くときは、 如才なくやろうとか 巧妙にやろうとか思ってはいけない。 ポイントを一突きせよ。事前にあわてふためいて、 あとは悠然と構えているほうが、 事前に悠然と構えていて、 事が起こった時にあわてふためくよりも、 利口な場合がある。

大切なことは、 力のない人の言葉が 認められることである。

先を見すぎてはいけない。 運命の糸は一度に一本しか つかめないのだ。

不利は一方の側にだけ あるものではない。

私が義務感と信念に基づいて行動している限り、 いくら悪口を言われようと何ともない。 害になるよりはむしろ益になるくらいだ。

復讐ほど高価で不毛なものはない。

もしあなたが、 過失を擁護する態度をとるだけであれば、進歩の望みはないだろう。

目前にせまった困難や 大問題にまともにぶつかること。 そうすればその困難や問題は、 思っていたよりずっと小さいことがわかる。 しかし、そこで逃げると、 困難は2倍の大きさになって あとで襲ってくる。

勇気がなければ、 他のすべての資質は意味をなさない。

どんなことでも、 大きいことでも、小さいことでも、 名誉と良識とが命ずるとき以外は、 断じてゆずるな。力に対し、ことに敵の圧倒的優勢な力に対しては、 断固として絶対にゆずってはいけない。

成功とは、 失敗を重ねても、 やる気を失わないでいられる 才能である。

たとえ生死の境にあって、 気持ちが極度に張りつめている時でさえも、他人の人生を思いやり、 人類を支配する法則とは 何であるかを考えてみるとすれば、 必ず何らかの報酬が返ってくる。

いらぬ取り越し苦労をするよりも、 前もって考えたり計画するほうが大事だ。

回想していると、 ある老人の話が思い出される。 その老人は死の床でこう言ったのだ。 生きている間には数々の心配ごとがあったが、 その心配が当たったことはほとんどなかった。

行動する事は少しも恐れはしない。 恐れるのは、 ただ無為に時を過ごす事だけだ。

世界とは、 若者にくどかれ 勝ち取られるためにある。

日々正直に行動することが、 成功に達する最も確実な道だ。

誠実でなければ、 人を動かすことはできない。 人を感動させるには、 自分が心の底から感動しなければならない。 自分が涙を流さなければ、 人の涙を誘うことはできない。 自分が信じなければ、 人を信じさせることはできない。

孤独な木は、 仮に育つとすれば丈夫に育つ。

一度剣を抜いた以上は、 息が絶えるまで、 勝利を完全に手中に収めるまで 剣を捨ててはならぬ。

正直であることは立派なこと。 しかし正しくあることも大事だ。

今は終わりではない。 これは終わりの始まりですらない。 しかしあるいは、 始まりの終わりかもしれない。

もしも地獄の真っ只中にいるのなら、 そのまま突き進むがいい。

嘘が世界を半周したころ、 真実はまだズボンを履こうとしている。

我々は得ることで生計を立て、 与えることで生きがいを作る。

幾度となく過ちを犯すだろう。 だが、寛大で誠実で情熱を持っていれば、 世界を傷つけることも 深刻に悩ませることもない。

 

向上とは変化である。 完全になるとは、 しばしば変化することである。 成功があがりでもなければ、 失敗が終わりでもない。 肝心なのは、続ける勇気である。

敵がいる? 良いことだ。 それは、人生の中で何かのために 立ち上がったことがあるという証だ。

ウィンストン・チャーチルの生涯

1874年、政治家の長男として生まれる。母は米国人。祖父がアイルランド総督だったため幼少期はアイルランドで過ごす。成績が悪く、大学には進学せず、陸軍士官学校に入学する。

1895年にスペイン軍に従軍して初めて実戦を経験。1899年に除隊し、庶民院議員選挙に保守党候補として出馬するも落選。1900年の第二次ボーア戦争には従軍記者として従軍したが捕虜となる。しかし、捕虜収容所から脱走したことによりチャーチルは知名度を上げる。

1900年の総選挙で保守党候補として初当選を果たす。その後、自由貿易護持の立場を明確にしない保守党を見限り、自由党へ移籍。1908年、33歳の若さで通商大臣に就任。1911年に海軍大臣に就任。1914年に第一次世界大戦が始まると失敗もあり海軍大臣を外される。しかし、1917年に再入閣を果たし、戦車の増産に努め、英国の勝利に貢献した。

1923年、自由党が労働党に接近するとチャーチルは反社会主義の立場からこれに反発し、自由党を離党。1924年の総選挙には保守党候補として当選。

1939年9月に第二次世界大戦が勃発。これを機にチャーチルは海軍大臣として閣僚に復帰。1940年に首相に就任。同時期に西方電撃戦を開始したドイツ軍に惨敗し、フランスは陥落。しかし、英国本土の制空権を狙うドイツ空軍の攻撃は撃退する。

1940年11月にルーズベルトが米国大統領に三選したことで米国の英国支援が本格化。1941年6月にヒトラーが独ソ戦を開始したことでスターリンのソビエト連邦と同盟関係になる。そして、1941年12月に日本が真珠湾を攻撃したことで米国とも同盟関係になる。1943年11月、チャーチル、ルーズベルト、スターリンの三巨頭によるテヘラン会談に基づきノルマンディー上陸作戦が決行され、膠着状態が崩れる。

1945年5月、ドイツが無条件降伏。その後、解散総選挙を行うも、保守党は惨敗し、チャーチルは政権を失う。チャーチルは、その後も反共外交を行い、ヨーロッパ合衆国構想などを推し進めた。また、チャーチルの回顧録『第二次世界大戦』は、1953年にノーベル文学賞を受賞。1965年、90歳の生涯を閉じる。

 


2015/04/06

ひとりごと